LHC加速器による重イオン衝突では、人類が実験室で達成することができる最も高い温度とエネルギー密度の状態を作り出すことができます。そこでは、通常では決して単独で存在しえないクォークやグルーオンがあたかも自由粒子の様に振る舞う新たな物質の形態を生み出しています。
この非常にユニーク、かつ興味深い物質の性質を解明するために、我々は ALICE実験を行っています。
2大研究テーマ
ALICE実験では、現代物理学の中でも特に重要な、以下の2大テーマに取り組んでいます。
(1) クォーク閉じ込め機構の解明
(2) 質量の発現機構の解明
(1)のクォーク閉じ込め機構は、ALICE 実験の中心的な研究課題です。クォークは通常ハドロン内に閉じ込められており、単独では存在しえません。なぜこの様な閉じ込めが生じているのか、まだよく分かっていません。この問題を解明するため、ALICE 実験では、グローバルな測定量に加えて、重クォーク、チャーモニウム(c-cbar クォークの束縛状態)、ボトムニウム(b-bbar クォークの束縛状態)の測定、熱的光子による初期温度測定、ジェット測定によるパートンエネルギー損失の測定、高次の粒子生成方位角異方性の測定など、様々な測定を行い、閉じ込めから解放された状態であるクォーク・グルーオンプラズマの性質を明らかにし、クォーク閉じ込め機構の謎に迫っています。
(2)の質量の発現機構の解明も ALICE 実験の重要な研究課題の1つです。陽子は uクォーク2つと dクォーク1つとその力の媒介粒子であるグルーオンから構成されています。2012年7月に ATLAS, CMS 両実験グループによってヒッグス粒子が発見され、クォークなどの素粒子が質量を獲得する仕組み(ヒッグス機構)が明らかになりつつあります。一方で、陽子の質量は uクォーク2つと dクォーク1つを足しても、陽子質量全体の2%にしかなりません。陽子質量のほとんどを担う、残りの98%の質量はどのようにして生まれたのでしょうか?陽子などの「普通の物質」が質量を獲得する仕組みは、南部陽一郎博士(2008年ノーベル物理学賞受賞)が提唱した「自発的対称性の破れ」に起源があると考えられています。「自発的対称性の破れ」(カイラル対称性の部分的回復とも呼ばれる)が生じるのは、QGP相転移の温度と同程度の温度 (~ 170 MeV) と考えられているため、ALICE 実験などの高エネルギーの重イオン衝突により、実験的に検証することが十分可能であると考えられています。ALICE 実験ではこのカイラル対称性の部分的回復の実験的検証を目指しています。
LHC vs. RHIC
LHC 加速器は RHIC加速器と比べて、約30倍のビーム衝突エネルギーによる重イオン実験です。このエネルギージャンプにより、「ハードプロセス」と呼ばれる粒子生成過程が RHIC よりもさらに支配的となり、非常に高い運動量を持った粒子(ジェットや直接光子)や重いクォーク (c, b クォーク)を含む粒子が多数生成されます。これら「ハードな粒子」はどのように生成されるかがよく分かっているため、これらを未知のQGP物質を調べる「プローブ(探針)」に使うことが出来ます。LHCでは多数のハードプローブにより、QGPの性質の詳細を明らかにすることができるのです。
また LHC での重イオン衝突では、衝突エネルギーの増加に伴い、発生粒子数(粒子多重度)が増加し、それによって中心衝突度、集団運動などのグローバルな物理量の統計的測定精度が上がります。またこれまでの測定結果から、LHC での重イオン衝突では RHIC の重イオン衝突にくらべて、エネルギー密度、温度、体積、寿命ともいずれも増大していることが分かってきました。より高温、大体積、長寿命のQGPを、高い統計精度とハードプローブで精密測定することができる、これがLHCでの重イオン実験の大きな魅力の1つです。
今後の展望
LHC 実験はまだ始まったばかりです。今後様々な測定により、QGP、クォークの閉じ込め機構、質量発現機構の性質の詳細が明らかになっていくでしょう。また 2018 年以降の LHC 加速器のビーム輝度(ルミノシティ)に合わせ、ALICE 実験検出器のアップグレードも計画されており、ALICE 日本グループもアップグレード計画に積極的に参画していいます。